【安藤広重 井の頭の池 弁財天の社雪の景】

【現在の弁財天】
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延享2年(1745)に弁財天の参道入り口に建てられた標石に刻まれた寄進者の名前を見てみると、当時の名優・瀬川菊之丞をはじめ、高麗屋純蔵(後の五代目松本幸四郎)、中村勘三郎などの俳優や、中村座、肥前座、薩摩座などの劇場の名前があり、江戸演劇史上の重要な資料であると共に、弁財天信仰の厚かったことをうかがわせます。
さらに弁天島の入り口に建てられた一対の石燈籠や、境内の狛犬や水盤など、弁天堂周辺の石造文化財(三鷹市指定)は全て江戸下町の庶民が寄進したものであり、また日本橋小舟町の名が刻まれた、弁天様にお供えする百味飲食(ひゃくみおんじき)供養の器も残されています。
かの安藤広重も名所江戸百景「井の頭の池弁天の杜」で秋の風景を、また名所雪月花「井の頭の池弁財天の社雪の景」で冬の夕景を描いており、これらのことからも井の頭の弁天様が江戸の庶民と文化にとっていかに重要で、また親しまれてきたかが分かるでしょう。
現在でも最寄り駅である吉祥寺の町は、文化と生活が理想的な形で交わる町と言えます。古くからの閑静な住宅街であると共に、多くの芸術家やそれを目指す若者が集い暮らす、文化の発信地でもあります。ライヴハウスや劇場・映画館なども多いこの町の独自の文化の発展を、弁天様は今でも静かに見守っているのかもしれません。
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